叶えるためには自己犠牲
んーなんか、今まで人生過ごしてきた中で思うことは、提案はするけど動かない人多い気がするんですよね。
提案するのは良いと思うのですが、結局それは誰がやるのか。
自分がやりたくて提案してるのか、それとも誰かにやってもらおうとして提案してるのか。
私の中では『発言者=やる人』っていう定義があるので、
やりたいから発言したんですよね?って思うわけですよ。
まさか自分はやらずに他の人にやってもらおうとしてるわけじゃないですよね?って。
提案がたくさん出ることに関しては良い事だとは思いますよ。むしろ必要です。
ただ、その発言にどの程度の責任をもっているかどうかって話なんですよね。
その企画を発言した人がはじめから取り仕切れってことじゃないんですよ。
どの程度関わる気があるのかって話で、どの程度自分を犠牲にできるのかって。
こちらから意見求めてる場合はその提案を反映させるべく動くのは自分ですけどね。
仕事じゃない限り、相手からの提案で自分は乗り気にならない限りは動きません。
自分にとって魅力的で、さらに良いものになるかもしれないと自分の中で納得しない限りは動きませんね。
提案するということはその本人がやりたいからだと思うのですが、その本人がどの程度『自分を犠牲』にしてまでそれを叶えたいのかを提示してほしいですね。
それぐらいの気持ちで提案して行動に移して欲しいものです。
言葉に責任持つってそういうことだと思うんですけどね。
今日の記事は『理想と努力』の記事に重なる部分がありますね。
その自己犠牲って要は努力することなんですよね。
周りを動かしたいなら、自分の熱意を伝える必要がある。
努力が熱意として相手に受け取られ、相手を動かすエネルギーとなる。
ちょっとした発散でした。