徒然なるぼやき。

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徒然なるぼやき。

思いついた事や記録として更新していこうかと。

ご飯1膳目

最近、ご飯のお供を探すのが最近の趣味になりました。じゃっ嶋です。

ご当地の名産を使ったものがお土産屋さんで売ってるのを卒業旅行で見つけてから、旅行下手な私としては旅行の面白みを発見できました。

 

特に美食家とか舌が肥えてるわけではないですが、記録として残していこうと思います。あくまで私的感想。

よろしき

 

『牛タン仙台ラー油』

製造者:株式会社 陣中

 

具の9割が牛タンというラー油。

宣伝通り牛タンがごろっと入ってます。

食べごたえがあります。

ふりかけ等でよくあるそぼろ的な肉感ではなく、肉!!といった感じで味わえます。

美味い。

 

また、一度話題になった食べるラー油と違って、味噌が入っているので何もかけなくても味がついてます。

フタを開ければラー油の香ばしさが漂ってきますが、その味は砂糖や味噌の甘さのおかげでどちらかというと甘いです。

ザ・甘めなラー油。

ご飯には塩っ辛いのを乗せるのが好きな自分としては物足りなしでした(´ω`)

 

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社会人3ヶ月目報告

久方ぶりです。

卒業式当日に熱を出したり、入社式前日にぎっくり腰したり、GW明けに眼底出血してたらいつの間にか社会人4ヶ月目に突入していました。

 

社会人生活の幕開けが最低過ぎて笑えます。

 

おかげ様で休みがある度に病院通いでしたが、今はようやく症状も落ち着きました。

そしたら休みやることが無さ過ぎて、逆に死にそう。

みんな休みの日は何をしてるんですか。会社行きたくなる衝動。

 

でもまぁ、会社に行きたいと言っても仕事がバリバリできるわけでもなく。

本当、自分の理解力のなさと手際の悪さが嫌になってる今日この頃です。

行動に無駄が多すぎて。

何も考えずに「次はあれをやらなくちゃ」と行動して、「いや、あれが必要じゃん」と何度も同じ所を行ったり来たり。

 

脊髄反射で動くな。現段階は一度止まって考えるべし。

 

あー、正直自分がここまでできないとは思わなかったすわ。

物覚えも悪いのでメモメモメモメモの嵐です。

上司とももっと話ができたら良いのですが、自分がビビりなもんだから恐縮してしまって言葉が出てこないですよね。営業同期たちはそんなことも臆せず口達者に顧客から取引を取ってくるんだからすごいなーっと思います(我、工場勤務者

 

でも、今んところ仕事は楽しいですね。この試されてる感は嫌ではないですね。

ただ電話は嫌いです。聞き取れない。

 

ひとまず焦りは禁物ですが、ルーチンワークを手際よくこなして、少しでも役に立てる人になりたいものです(._.)

 

私生活的には充実してますかね。

先輩の演奏を聴きに北海道に日帰りで行ったり、邦楽部の演奏会を聞きに行ったり、大学部活の同期と後輩で大学食堂巡りをしたり。

 

部活同期、後輩が恋しい日々です(´・ω・`)

私も夏休みがあるのなら一緒に旅行に行きたかった(´・ω・`)

無念(´・ω・`) せせこら働いて金を貯めます(´・ω・`)

 

以上(´・ω・`)

4年間の部活動

いよいよ卒業までカウントダウンですわ。はやいっすねー

 

この大学生活は部活動一色でしたね。

まぁ高校生時に文化祭で邦楽部を訪ねて、微生物に関して勉強したいと思って他の大学と比較する際にこの時の邦楽部で活動したいなって思ったのも今の大学を選んだきっかけですし。その訪ねた時の写真が部に残ってたのは驚きでした。

まぁ4年制大学は残念ながら落ちてしまって付属の短大に入りましたけどね。

でもそれはそれで良かったですね。

自分は絶対に編入できるって自信があったので、そうすると2年ごとに区切りがあったので短大卒業までにこれだけは頑張るぞって目標を組み立てることができましたし。

まぁ、新入部員として過ごした1年生のときは文化部というのが初めてだったので戸惑いだらけでしたよね。こんなにもゆるくて良いのかと。

夏合宿の際に一度やめようかと考えましたもん。部内のほわほわした環境に耐えられる気がしなくて。地元で弓道続けてましたし。

そのときに辞めなかった理由としては、自分の居場所が欲しかったというのもありますし、津軽三味線の練習場所を確保したかったのもありますけど、違う理由な気がします。

ちなみに津軽は1年生の6月ごろから師匠の下に通い始めました。

2年生になって短大で忙しい研究室に入り卒論もあったので時間がない日々を過ごしてましたね。

だからこそですかね。新体制になって上の締まりのなさに爆発しました。

時間をなんだと思ってるんだと。あなた方、上だけの時間ではないんだぞって。

みんなが時間を合わせて集まってる、みんなの時間なんだぞって。

それなのに無駄にしてんじゃねぇ!!って

そこからは私は今の部の考え方や流れを変えていかないといけないって思いました。

上を担ってきた先輩方は口々に「もっと話し合う機会を設けるべきだった」と言っていたんですよね。

そうなる原因として、後輩から意見を引き出す環境づくりができていなかったのではないかと。

自分は思ったことが上下関係なくバンバン言うような性格なので不満が爆発してたら言ってましたけど、本当なら爆発する前にすぐに言えるような環境があるべきなんですよね。この今の楽しい雰囲気を壊したくないから誰もそうした強い意見を言わなくなっていく風潮が嫌いでした。

今思えば誰もそれに不満を抱いてこなかったからなのかなって思います。

ただ、当時は運営の緩さにキレてましたね。私が幹事を担うのは1年生の夏合宿の時点で決まっていたので、3年生で運営する側になった際は、下からの意見に重きを置いてみんなから意見を集める運営方針に決めてました。

幹事たるもの部員が部活でやりたいことをできる限り実現させる。

津軽に関しては民謡メドレーを先輩方と学内で披露したり、収穫祭で三部コラボとして南部俵積みを演奏したり津軽デビューを果たしましたね。

編入学試験も無事に受かって3年生になり、幹事を担うことになったんですが、その一年が多忙すぎてほぼ記憶に残ってないんですよね。

周りからその時のじゃsは死にそうな顔をしてて心配だったという言葉を今でも言われます。どないやねん。

まぁ、このときは人手不足で幹事、庶務、会計と兼任してたので多忙でした。

そのせいで詰めも甘くなって迷惑もたくさんかけて辛さしかなかった気がしますねー

上がそんな気持ちじゃダメなのは4年生になってから気づきました。遅すぎや。

4年生になってからの方が気づかされることは多かったです。先輩の言う通りでした。

自分の甘さにここで気づかされました。

3年生は怒涛に部活を過ごしていきましたが、4年生は確実に部を過ごした感がありますね。最後だからっていうのもあったかもしれませんし、後輩の動向を見てたというのもあって考えさせられることが多かったです。

最後には部活の部長先生が定年退職という事で企画責任者として送別会を開かしていただきましたが、ここでも『見守る』について考えさせられましたね。

あとはいつ手配するとかスケジューリング能力が鍛えられました。

 

この部活動で4年間で学んだことはたくさんありました。

不満があれば意見としてぶつける。

そのやりたいは誰がやるのか。自分か?それとも他人か?

何事もイメージ。その中でわからない部分は質問していく。

見守るとはただ見て肯定じゃない。相手に気づかせるのも見守る。

書ききれないですね。

 

まぁ、楽しかったこともたくさんありましたが、クソムカついたことの方がたくさんありましたね。部活を辞めたいと思ったことは1年生の最初と3年幹事の夏ごろですね。

けども、続けて良かったなと思います。

ほんと嫌だったことも最終的には良き思いでと美化されるのは不思議なもんです。

 

私は私なりの部活動をやったと思います。てかやりました。自分の正義を持って。

後輩からの意見を聞き、同期と話し、先生先輩から助言をいただき。 

やりたいことがあったら自分で考えて動きましたし(津軽三味線や2年時のパネルとか)。

その正義に反発が出ることは必ずあります。けどもそれで良いんすよ。

大切なのは当たり前なことを当たり前ではなく意識してやることです。

物事を分析して考えて組み合わせていく重要性です。

 

反省すべき事柄なんてうんとたくさんあります。

けども、それもたくさん行動を起こしてるからこそだと信じて自分の過去を肯定させていますわ。

でないとやっていけません。

 

私はお天道様を信じてます。

人のめぐり合わせとか、事の導きとか。

この大学に入って、この部活に入って、いろんな人に会えて良かったです。

心が荒れる瞬間

自転車に乗ってるときやお風呂に入ってるとき、暇なときに突然、過去の嫌な記憶が蘇ってくることがありませんか?

私はわりとそういった記憶を思い出してクソ死にたくなります。

 

過去の失敗した事柄や思い出したくない記憶ほど嫌なものはないですね。

なんせ今の自分の行動してる要因が全てそこに繫がってるのに気づいた瞬間の恐怖。

私の精神や感情が全てその過去の嫌な経験に食い尽くされてて、抜け出せない気がするんですよね。

 

その嫌な記憶のひとつ。

私はまわりからよく聞き分けの良い子だとか頭が良いとか言われますけど、別に良い子ちゃんしてるわけではないんですよ。

ただただ、比較されるのを恐れているのです。

劣等感にひたすら怯えてます。

劣等感が私の精神や感情をすべて食い尽くしていくのです。

比較されたときに劣等感を味わいたくないからです。

私はビビりです。とてつもなくビビり。

だから私は努力するのです。ビビって予防線をたくさん張りまくるのです。けども人は勘違いをします。変な期待を寄せてくるのです。私はそれにまたビビります。努力します。けども時に失敗します。そして相手の期待を裏切ります。相手がガッカリします。相手の「期待してたのに」という言葉ほど怖いものはありません。

 

なので自分は劣等感を抱きそうになるとヒドく自己防衛をし始めます。

それは怒りです。

自分が劣っていると思いたくないから。劣等感を覚えたくないから自分を保護するために感情を爆発させてしまいます。

クソな考え方だと思います。

けども治らないのです。落ち着こうにも心臓がバクバクし始めて怒りの感情が止まらないのです。

そして後から病みます。

ほんと自分にクソ疲れる。

 

しかし人生は比較ばっかなんですよね。

比較されるために生きてるようなもんです。

それによって喜怒哀楽が決まりますし。

いうならば嫉妬もその一つなんですよね。

 

ビビってばっかの人生でクソ疲れますわ。

けども治らないからこれまたウザい。

 

神経質なのは自覚してますがどうもコントロールできないのですよ。

相手をがっかりさせちゃったなぁしーらね、とか、勝手に期待してきたのは相手なのだから私には関係ないってのができないのです。

 

私はいつかこれで自分の身を亡ぼすんだろうなって思いますわ。

こんなにも私の行動を支配してますからね。

それが私の考え方や生き方となっているのも事実ですし。

 

また、行動を起こすにおいて楽しさよりも恐怖の方が原動力としては大きいと思います。

だって楽しかった思い出や幸せだった記憶を思い出したことなんてほぼないに等しいですし。物事を終わらせた達成感や安堵感、その楽しさっていうのは終わった当初はそれでいっぱいですがそうした感情や記憶ってのは一時のばかりな気がします。

ずっと鮮明についてくるのは嫌な記憶とか恐怖体験ばかりです。

本能なのかなんなのか知りませんがようできてんなって思います。

 

けどもその恐怖に自分が完全支配されないためにも目的があるのかねとも思いました。

どこに向かえばいいのかを理想や目的、目標を定めることで、自分自身に活路を見出しているのだと思います。

目的などがないと恐怖の原動力は四方八方に散るだけでやってもやっても恐怖ばかりが付き纏ってきます。なぜなら満足感を得られないからです。恐怖から逃げられているという満足感を得られないから。

目的、目標が達成されていくとその恐怖は解消していきます。だから人は幸福に満ちていくのだと思います。

 

久しぶりに長期に渡って心が荒れました。

それぐらいに私はクソムカつきましたし、そして自分自身が悲しくなりました。

 

自分の劣っている部分をはやく認めたほうが楽になれるのに。

 

忙しさに溺れたい。

 

叶えるためには自己犠牲

んーなんか、今まで人生過ごしてきた中で思うことは、提案はするけど動かない人多い気がするんですよね。

提案するのは良いと思うのですが、結局それは誰がやるのか。

自分がやりたくて提案してるのか、それとも誰かにやってもらおうとして提案してるのか。

 

私の中では『発言者=やる人』っていう定義があるので、

やりたいから発言したんですよね?って思うわけですよ。

まさか自分はやらずに他の人にやってもらおうとしてるわけじゃないですよね?って。

 

提案がたくさん出ることに関しては良い事だとは思いますよ。むしろ必要です。

ただ、その発言にどの程度の責任をもっているかどうかって話なんですよね。

その企画を発言した人がはじめから取り仕切れってことじゃないんですよ。

どの程度関わる気があるのかって話で、どの程度自分を犠牲にできるのかって。

 

こちらから意見求めてる場合はその提案を反映させるべく動くのは自分ですけどね。

 

仕事じゃない限り、相手からの提案で自分は乗り気にならない限りは動きません。

自分にとって魅力的で、さらに良いものになるかもしれないと自分の中で納得しない限りは動きませんね。

 

提案するということはその本人がやりたいからだと思うのですが、その本人がどの程度『自分を犠牲』にしてまでそれを叶えたいのかを提示してほしいですね。

それぐらいの気持ちで提案して行動に移して欲しいものです。

言葉に責任持つってそういうことだと思うんですけどね。

 

今日の記事は『理想と努力』の記事に重なる部分がありますね。 

その自己犠牲って要は努力することなんですよね。

周りを動かしたいなら、自分の熱意を伝える必要がある。

努力が熱意として相手に受け取られ、相手を動かすエネルギーとなる。

 

ちょっとした発散でした。

話し合うということ

色んな視点で物事を見ることは大切だけども、その人自身が発する意見はひとつに絞っておかないとダメだよな。と思いました。

その色んな立場の意見が集まるのが会議であって、そこでひとつの結果に集約するわけですから。

1人が様々な立場を考慮して意見するのは違う気がするんですよね。

 

あくまで自分の担う役職もしくは個人目線の意見を言うべきなんだと思います。

他の立場の意見を取り入れるのは、その会議でまとめる段階でです。

他の立場を考慮してっていうのも結局はその人の憶測でしょうしね。

その人自身から聞いた話としても、取り方次第ではその人と本人で内容のニュアンスが微妙に変わりますからね。

やはり、その立場本人が直にみんなに話さないと伝わらないってものです。

 

自分達が分からないこと知りたいことで、それが会議に参加できない立場の人であれば、連絡して聞けば良いのだし。

 

会議内容がボヤけた物になるのはそういう、 それぞれの役職や個人が『本当の自分自身』の意見を言わないからではないでしょうか。

 

みんなの意見を取り入れるために話し合うわけだから、それこそ相手の立場とか考えずその人本人の立場の意見を言うべきだと思うんですよね。

 

現場の声は現場の人にしかわからないのですから。

 

【部活のお話】

部活にしろ1年生だって部員です。

上級生は1年生だからわからないでしょって蚊帳の外にするのではなく、1年生という立場だからこそ出る意見というものを大切にすべきです。

そういった下級生が意見しやすい環境づくりも先輩の役目ですね。

 

 

牛乳に梅ジャム

牛乳に酸を添加して凝固する要因の考察

 

後輩部員の牛乳に梅ジャムを入れたら固まったというツイートを見て気になり文献を読んで調べてみました。

 

まず、梅ということで何か有機酸といった酸が関係しているのではないかと考え調べましたが、どうも調べていくうちにジャムも関係しているのでは、ということで後半部分にはペクチンについても記載。

 

≪酸添加によるゲル化≫

カゼインは牛乳のたんぱく質含量は約3.5%であり、そのうち約80%カゼインである。

カゼインの大部分は牛乳中でカルシウムなどの無機塩類と結合し、カゼインミセルというコロイド粒子を形成し、懸濁分散している。

このカゼインミセルによる光の散乱により牛乳は乳白色に見える。

通常、牛乳中ではホエー中の塩類と平衡状態を保ち、安定した状態で存在している。

これはコロイド粒子間にファンデルワールス力が働いているが、粒子表面の電荷により同物質間で静電気力(クーロン力)が働くことで同程度の反発力が生じ、凝集することなく安定性が維持されているためである。しかし、これが種々の要因により、その安定性が破壊されると凝固、沈殿を導く。

 

ファンデルワールス

すべての分子性物質は温度を下げると必ず固体になる。このことから分子間には働く力があると示されており、この分子間に作用する力のことを言う。

 

そもそもタンパク質はアミノ酸が多く結合した物質であり、そのアミノ酸組成によってプラス電荷とマイナス電荷をもつ側鎖数に差が生じ、たんぱく質全体の電荷が決まる。各タンパク質は電荷が0になるpH条件をもち、このpHをそのタンパク質の等電点という。

 

牛乳に酸を加えることで牛乳中のpHが下がり、コロイド粒子表面の電荷も0になる。これによりファンデルワールス力が働き、カゼインミセルは凝集し凝固沈殿する。

 

この凝固沈殿によって生じた形態はゲルと呼ばれる。

ゲルとはコロイドの特殊例であり、溶液中の成分が収縮したり会合したりすることにより全体の形が固定化された状態を指す。ゲルはコロイド粒子または高分子が一連の網状につながってつくられた、柔らかく弾力があり、変形が可能な固体といえる。

酸による凝固形態がゲルと示したのは凝集したカゼインミセルが網状構造をつくるためである。

 

ペクチン添加によるゲル化≫

また、酸以外にも牛乳にりんごや柑橘類を加えても凝固はおきるが、これもゲル化である。

これはペクチン(多糖類)といった物質が起因している。

ペクチンは植物に広く分布しており、主にりんごや柑橘類の搾汁カスなどから抽出される。

物理的性質として分散ゲル性能(粘性のあるゲルを形成して水に分散する性質)を持つ。

この性質によりジャムやゼリーを作る際に使われる物質である。

 

ペクチンはガラクツロン酸(ガラクトースの6番目炭素が-COOHに酸化されているウロン酸)がアミロースのようにα-1,4結合によって直鎖状に結合している重合体である。

構造上からペクチンは水中では負に電荷し、分子同士で反発しあうためコロイドを形成する。

 

ペクチンのゲル形成は、ペクチンの性質によって二つに代別される。

①高メトキシルペクチン(HMP)による水素結合型

②低メトキシルペクチン(LMP)によるイオン結合型

上記二つの違いとしてはペクチン構造中のカルボキシル基のメチル(-CH3)化の割合によって決まる

 

①メトキシル含量7%を境にそれよりも大きいペクチンを指す。

ペクチンは負に電荷しており、酸を加えることにより遊離カルボキシル基の解離が抑えられ電気的に中性(等電点)になり、ペクチン分子の凝集を促し網目構造形成に作用する。

一般にジャムやゼリーに使用されるペクチンはこの型に属する。

ジャム作りに糖や酸を加える目的としては、

糖は脱水剤として働き、凝集体を形成することでゲルを一定の形に保つ役目を持っている。

ペクチン中の水酸基が水素結合により橋渡しが可能になり、安定なゲルを形成するものと考えられている。

 

②メトキシル含量7%を境にそれよりも小さいペクチンを指す。

カルシウムやマグネシウムなどの多価金属イオン(存在下で)が遊離のカルボキシル基を通して結合し網目構造を形成する。

このタイプは糖や酸を加えなくても安定してこの構造を取る。

これはLMPが遊離のカルボキシル基を分子内に多く持っているために、

ペクチン分子のカルボキシル基が金属イオン分子とイオン結合することによって橋渡しになるからである。

 

このため牛乳中に柑橘類やリンゴ搾汁液を加えてゲル状になるのは、液中のペクチンが牛乳中のカルシウムと反応しLMPによるゲル形成が起きるからと考えられる。

 

※ヨーグルトも乳酸菌が牛乳成分の乳糖を乳酸に変えることで牛乳中が酸性化、カゼインが凝固・沈殿するためゲル状になる。

 

つまりは後輩が牛乳に梅ジャムを入れたことで、梅に含まれてた酸性物質によるカゼインの凝集が起きたと考えられる。

また、ジャムのペクチンについては①の場合だと、牛乳中の水分が足されたことでゲル化の安定性が保たれないためHMPではないと考えられる。②には牛乳中にカルシウムが含まれ、糖や酸の存在は必要ないためLMPによるゲル化が考えられる。

この二つの要因からミルクが固まったのだと推測されたのであった。

 

参考文献

食品化学、鬼頭誠ら、文永堂出版、1998年

化学基礎・分析化学、辻村卓、建帛社、2003年

生化学、猪飼篤、岩波書店、2007年

化学の基礎-化学結合の理解-、正畠宏祐、化学同人、2004年

食品コロイド入門、ERIC DICKINSON(訳:藤田哲ら)、幸書房、1998年

ペクチン-その科学と食品のテクスチャー-、真部孝明、幸書房、2001年

食品タンパク質の科学-タンパク食品の製造と利用編-、山内文男、食品資材研究所、1987年