牛乳に梅ジャム
牛乳に酸を添加して凝固する要因の考察
後輩部員の牛乳に梅ジャムを入れたら固まったというツイートを見て気になり文献を読んで調べてみました。
まず、梅ということで何か有機酸といった酸が関係しているのではないかと考え調べましたが、どうも調べていくうちにジャムも関係しているのでは、ということで後半部分にはペクチンについても記載。
≪酸添加によるゲル化≫
カゼインは牛乳のたんぱく質含量は約3.5%であり、そのうち約80%カゼインである。
カゼインの大部分は牛乳中でカルシウムなどの無機塩類と結合し、カゼインミセルというコロイド粒子を形成し、懸濁分散している。
このカゼインミセルによる光の散乱により牛乳は乳白色に見える。
通常、牛乳中ではホエー中の塩類と平衡状態を保ち、安定した状態で存在している。
これはコロイド粒子間にファンデルワールス力が働いているが、粒子表面の電荷により同物質間で静電気力(クーロン力)が働くことで同程度の反発力が生じ、凝集することなく安定性が維持されているためである。しかし、これが種々の要因により、その安定性が破壊されると凝固、沈殿を導く。
すべての分子性物質は温度を下げると必ず固体になる。このことから分子間には働く力があると示されており、この分子間に作用する力のことを言う。
そもそもタンパク質はアミノ酸が多く結合した物質であり、そのアミノ酸組成によってプラス電荷とマイナス電荷をもつ側鎖数に差が生じ、たんぱく質全体の電荷が決まる。各タンパク質は電荷が0になるpH条件をもち、このpHをそのタンパク質の等電点という。
牛乳に酸を加えることで牛乳中のpHが下がり、コロイド粒子表面の電荷も0になる。これによりファンデルワールス力が働き、カゼインミセルは凝集し凝固沈殿する。
この凝固沈殿によって生じた形態はゲルと呼ばれる。
ゲルとはコロイドの特殊例であり、溶液中の成分が収縮したり会合したりすることにより全体の形が固定化された状態を指す。ゲルはコロイド粒子または高分子が一連の網状につながってつくられた、柔らかく弾力があり、変形が可能な固体といえる。
酸による凝固形態がゲルと示したのは凝集したカゼインミセルが網状構造をつくるためである。
≪ペクチン添加によるゲル化≫
また、酸以外にも牛乳にりんごや柑橘類を加えても凝固はおきるが、これもゲル化である。
これはペクチン(多糖類)といった物質が起因している。
ペクチンは植物に広く分布しており、主にりんごや柑橘類の搾汁カスなどから抽出される。
物理的性質として分散ゲル性能(粘性のあるゲルを形成して水に分散する性質)を持つ。
この性質によりジャムやゼリーを作る際に使われる物質である。
ペクチンはガラクツロン酸(ガラクトースの6番目炭素が-COOHに酸化されているウロン酸)がアミロースのようにα-1,4結合によって直鎖状に結合している重合体である。
構造上からペクチンは水中では負に電荷し、分子同士で反発しあうためコロイドを形成する。
ペクチンのゲル形成は、ペクチンの性質によって二つに代別される。
①高メトキシルペクチン(HMP)による水素結合型
②低メトキシルペクチン(LMP)によるイオン結合型
上記二つの違いとしてはペクチン構造中のカルボキシル基のメチル(-CH3)化の割合によって決まる
①メトキシル含量7%を境にそれよりも大きいペクチンを指す。
ペクチンは負に電荷しており、酸を加えることにより遊離カルボキシル基の解離が抑えられ電気的に中性(等電点)になり、ペクチン分子の凝集を促し網目構造形成に作用する。
一般にジャムやゼリーに使用されるペクチンはこの型に属する。
ジャム作りに糖や酸を加える目的としては、
糖は脱水剤として働き、凝集体を形成することでゲルを一定の形に保つ役目を持っている。
ペクチン中の水酸基が水素結合により橋渡しが可能になり、安定なゲルを形成するものと考えられている。
②メトキシル含量7%を境にそれよりも小さいペクチンを指す。
カルシウムやマグネシウムなどの多価金属イオン(存在下で)が遊離のカルボキシル基を通して結合し網目構造を形成する。
このタイプは糖や酸を加えなくても安定してこの構造を取る。
これはLMPが遊離のカルボキシル基を分子内に多く持っているために、
ペクチン分子のカルボキシル基が金属イオン分子とイオン結合することによって橋渡しになるからである。
このため牛乳中に柑橘類やリンゴ搾汁液を加えてゲル状になるのは、液中のペクチンが牛乳中のカルシウムと反応しLMPによるゲル形成が起きるからと考えられる。
※ヨーグルトも乳酸菌が牛乳成分の乳糖を乳酸に変えることで牛乳中が酸性化、カゼインが凝固・沈殿するためゲル状になる。
つまりは後輩が牛乳に梅ジャムを入れたことで、梅に含まれてた酸性物質によるカゼインの凝集が起きたと考えられる。
また、ジャムのペクチンについては①の場合だと、牛乳中の水分が足されたことでゲル化の安定性が保たれないためHMPではないと考えられる。②には牛乳中にカルシウムが含まれ、糖や酸の存在は必要ないためLMPによるゲル化が考えられる。
この二つの要因からミルクが固まったのだと推測されたのであった。
参考文献
食品化学、鬼頭誠ら、文永堂出版、1998年
化学基礎・分析化学、辻村卓、建帛社、2003年
生化学、猪飼篤、岩波書店、2007年
化学の基礎-化学結合の理解-、正畠宏祐、化学同人、2004年
食品コロイド入門、ERIC DICKINSON(訳:藤田哲ら)、幸書房、1998年
ペクチン-その科学と食品のテクスチャー-、真部孝明、幸書房、2001年
食品タンパク質の科学-タンパク食品の製造と利用編-、山内文男、食品資材研究所、1987年
理想と努力
時間があるため、本日2本目です。
自分なりに創意工夫をして幾多の苦難を乗り越えて辿りついた境地こそ自分のベースになり、その人自身が発する言葉にも説得性が増されていくのだと思います。
理想を叶えるためには現実と叶えるための理論との裏付けが必要となり、
精一杯努力してきた経験がある人ほどその土台構築がしっかりできる発想を持っているのではないかと。
前提条件をしっかり定められるため、考えの違う人たちと議論する際にも簡単には論破されることもなくなります。
理想を叶えるためには努力が必要です。
また、その理想が自分だけでなく相手からの協力が必要ならばさらに努力をしなくてはいけません。
その努力は熱意として相手に伝わりますが、相手を動かすのに必要な熱量はそれぞれ異なります。
自身が発するエネルギーが高ければ高いほど、そうした様々な人を多く動かすことができるでしょう。
生半可な気持ちでやっていれば、自分自身努力する気も起きず、相手に熱意が伝わるわけもありません。
理想を叶えるためには、日頃から『考えること・取り組むこと・気づくこと』を意識しておく必要があると思いました。
固定概念
あけおめです~
本年も気が乗りましたら更新していく次第でございますが、よろしくお願いいたします。
さて、世の中の何かを変えたいと思うなら、人々の頭の中のイメージ・固定概念・先入観を変えねばいけないと思います。
先入観や固定概念が生まれる理由としては、
その物事が繰り返されていくうちに、いつの間にか当たり前となってしまうからだと思います。
商業的に「ある時期だけに」「この品種は」と『特別感』を出すためにその物事をある条件をつけて繰り返し行っているとそれが人々に強く印象付けられて、本来その事柄が持つべき姿と違う何かにすり替わってしまうのかなと。
だからこそ、「これはおかしい」と違和感に気づき始める人が現われるんですよね。
ただ、その下に埋もれてしまった本質を再度世間に認識させていくためには新しい発信の仕方が必要で、そのやり方には『発想』が重要になってくるのだと思います。
人々に気づかせるためには、まず、なぜそれが当たり前となってしまったのかという経緯や背景を探ること、それが『過去に聞く』ということで、そこから固定概念・先入観を崩すためには何をすべきかを考える。
これは新しいものを生み出すというより、システムを是正するに近いですかね。
その是正していくプロセスの中で新しいものが生み出されていく感じですね。
と、ここでこう思ったのも、お正月では所々でお箏の音色が聞こえてくるんですよね。
年初めは大好きです。世間で一番日本文化が溢れ出て日本らしくなるからです。
どこに行っても和楽器の音が聞こえてくる。いいですよね~
けども、部活の先輩から「お箏といったらお正月というイメージをなくしたい。」
という話を以前から聞いていて、ふと上記の考えが浮かんだのです。
お正月だけに箏曲を商店街やスーパー、テレビ局も多用するから人々もお箏=お正月という先入観が生まれたのではないかと。
世間が考えるよりもお正月っぽくない、きれいでカッコいい曲はたくさんあるのですよ。
だけども普段からそういった曲を聴く機会がなく、聞くとしたら演奏会に行くという行動を取らないといけないんですよね。
お正月ではそうした行動をせずとも耳に入ってくる状態。
だから、お箏の音色=お正月が定着してしまったのかと。
先輩は「音楽をしないからだ」という視点でメスを入れてましたが、
今回、私はそういう視点を持ちました。
まぁ、先輩の視点としては「音楽として楽器として箏が認識される世界」といっているので、ちょっと違うかもですけどね。
巷で噂の和楽器バンドがそういった印象をどう変えてくれるか少し楽しみでございます。
まぁ、内容としてはお箏に限らずブランド化という部分でも同じように思ったところです。
すべてとは言い切れませんが、そうした『特別感』を出して商品を売り出していくのは、新たな市場開拓としてはアリだと思います。しかし、本来のあるべき姿をすり替えてまでやることなのかなぁと思う今日この頃です。
自分だけの景色
私って将来やりたいこととか明確な目標ってないなーっと思いまして。
まぁ、何も考えずに生きてきた結果なんですけどね。
今まで心惹かれてきた道を歩んできて、なんせ成り行き任せが多かったからですから。
「おもしろそう」「カッコいい」
ただ、その成り行きに任せて出会った事柄には納得のいくまで努力をし結果を納めてきたので後悔はしてないっすね。
成り行き任せでも適当にではなく、確実に物事をこなしていく主義ではあったのでそれが私を救っているなと思います。
やると決断した中でひとつだけ決めてることと言えば、絶対に人の真似はしない。
というより、積極的にそれをやりたい人がいるならば進んで譲って私は他のことをやる。私にしかできないことを見つけていく。
これだけは、自分の主軸にしてる部分ではありますね。
部活動の時は、幹事を担う前にいろいろなごたつきが起こって後輩に同じような目に合ってほしくない一心で、部活内部の考え方を変えなくてはと思い幹事を担ってはいました。
たとえそれが正しい行動だったかはわかりませんが、私はそれが正義だと思ってやってきましたね。私だからこそ見えた部分であり、できる取り組みを最大限行ってきたつもりです。4年生になった今でも。
私は世間に対して特に何かを変えたいとか、そういう意識は抱いてないっすね。
なぜなら特に不満を感じてないから。
誰かがこうしていきたいという目標があって、それが正論であれば私はそれに追随していくでしょう。
私には世間に対してそういう何かを変えたいやしたいという思いが今のところないけども、何かをそうしたいという人に力を提供することはできるからです。
社会にでたら嫌でも世間に目を向けることになりますから、また考えは変わるかもしれないですけどね。
はじめからそういう『世間の何かを変えたい』という思いの下で行動をしている人は本当に素晴らしい方だと思います。違和感の捉え方が鋭いのでしょう。
私は、ようやくその考え方が分かった段階ですね。新しい見方を教わりました。
それぞれ目線や見方は異なりますし、
みんなが気づけてない私にしか見えない景色を探し、それを発信して共有していく。
それが自分の世間で変えたいと思う景色かもしれないし、
誰かが変えたいと思う部分で必要な景色かもしれない。
私は5年後、10年後でそういった景色がみれるようになっていたいですね。
そして景色が見えた段階で自分の長所だと思っている行動力、周りを巻き込む力を発揮するまでです。
そのためには多くを学び、多くを吸収し、消化して考えていくのみですね。
時すでに遅しかもしれないですけど笑
そのための『やるべきこと』は果たしてなんでしょうね?
仕事の発祥
社会人って仕事してるけど、どうやって仕事みつけてるんだろうなぁ
すごいなぁ 自分が社会人になったらちゃんと仕事見つけられるのかなぁ
と、昔から疑問に思ってたのですよ。
で、気づいた。
『やりたいこと』があると、『やるべきこと』が発生するわけですね。
その『やるべきこと』を仕事としてやっているのだとようやく理解しました。
みんなこれとやっていたのですね。
ただし、ここでいう『やりたいこと』っていうのは世の中にどう応えていきたいか、
という内から内ではなく内から外への働きかけなんだと。
就活や企業からの課題でよく「お客様を第一に考えて働く」とざっくり教えられてたわけですが、頭ではなんとなく分かっててもいまいちピンと来なかったんですよね。
で、「お客様に満足」してもらうために、会社がその仕組みを整え提供する。
そういった考えの下で働き、世の中が満足になるよう自分が提供していくことはいずれ自分をも満足させることにつながることなのだと理解しました。
企業というのは企業理念で世間に対してどう貢献していきたいか『やりたいこと』示し、その目標達成のための『やるべきこと』を社員に投げかけていく。
だから、仕事というのは発生するのですね。
今、やっている仕事は本来どういった『やりたいこと』から発生した『やるべきこと』なのか。
また、暇というのは『やるべきこと』がないのと一緒ですが、
実際は『やるべきこと』なんてたくさんあるんですよね。
ただ気づけてないだけ。
そこに気づけるかどうかで命運って分かれるのだと思います。
お天道様はそこらへん、よく見ていらっしゃると常々そう思います。
暇ほど嫌なものはないですね笑
まだ社会人にもなっていないですが、仕事をしくじらないかというより、
ちゃんと仕事を見つけていけるかと心配なじゃs嶋でございました。
発想
最近、企業からの読書課題もあって本を読んでるのですが、
発想を豊かにするためには感受性を(センス)を磨くことが重要だなぁと思いまして。
条件が限られている中で目的を達成するためには発想が重要になり、
その発想こそ感受性によって決まると言って過言ではないと思います。
感受性というのはセンスのことですが、ジャンルで分けると技術や知識、
それこそ感情や思考も入るでしょう。
自分の場合だと、相手からよく意見が制圧的だと言われることがあります。
それは相手の立場や環境下を考えずに自分本位な物事を考えてしまうからです。
その「相手」に対する感受性が低いがために発想も自己中で陳腐なものに下がってしまうのではないかと考えました。
『発想が豊か』っていうのは、多くの事柄に気づき、その解消方法として有効な手段を考えつく思考力だと思うのです。
「気づく」というのもこれまたセンスです。
気づく人がいて、気づけない人もいますから。
固定概念に縛られず、いかに違和感をつかみ取れるかが勝負です。
私としては先述した思考分野以外にも語彙力も磨きたいですね~
きっと、感受性が磨かれれば物事や世の中の出来事がさらにおもしろく映るんでしょうね。
発想豊かになりたいものです。